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らすかるすずか
  北海道
「黄金の馬」ハギノカムイオーと高松宮杯
2015/03/27 21:41

最近でこそ、セリで高額で落札された馬が大きなレースを勝つのは当たり前になったが、一昔前は「セリの高馬は走らない」というジンクスがあった。
カツラギエースの弟で父トウショウボーイという良血のモガミショーウンなどが典型的な例だろう。
そんな風評の中、頑張って結果を残した数少ない馬が、ハギノカムイオーである。

1979年、荻伏牧場で生まれたカムイオーは、父テスコボーイ、母イットーという、「華麗なる一族」の一員。
「テスコボーイの牡馬はセリに上場する」という決まりがあったため、彼も当歳時にセリに出された。
ここで付いた落札額は、1億8500万円!
当時の最高額であった。
このことから彼は、「黄金の馬」と呼ばれることになる。

こうして競馬の枠にとどまらない注目を集める存在となったカムイオーだったが、デビューから3連勝で重賞を制覇したものの、クラシック第一戦の皐月賞ではゲイルスポートと逃げ争いを演じて16着と惨敗、NHK杯でも12着に終わり、ダービー出走を断念することになる。

秋は神戸新聞杯、京都新聞杯と連勝と幸先の良いスタートを切ったが、最後の一冠菊花賞では大逃げを打った末に15着。
揉まれ弱い逃げ馬にありがちな極端な成績で4歳シーズンを終えた。

そんなことでめげないのが、カムイオーのカムイオーたる所以である。
古馬になると、中距離に活路を見出し、5月のスワンSで優勝、続く宝塚記念でも2分12秒1というレコードタイムをたたき出して勝利。
まさにテスコボーイ産駒らしいスピードを見せつけての圧勝劇であった。

現在の高松宮記念は芝1200mのG1であるが、G2高松宮杯(ただしカムイオーの時代はグレード制導入前である)は宝塚記念のあと6月に行われる芝2000m戦であった。
グランプリの余勢を駆ってここに駒を進めた彼は、再びここも逃げ切って連勝。
母イットー、姉ハギノトップレディに続く「親子・姉弟制覇」の偉業を成し遂げたのであった。

だが、秋の関東での3戦はすべて惨敗。
有馬記念の16着を最後にターフを去った。

種牡馬としても大いに期待されたが、地方重賞の勝ち馬を何頭か出しただけで、期待に応えたとは言い難い。

今にして思えば、彼は「中距離の王者」であって、この時代にマイル路線が整備され、秋の天皇賞が2000mに短縮されていれば、もっともっとタイトルは増えていたのではないだろうか。
こうした番組の改革は、彼が引退した翌年の1984年に行われているので、「もう1年生まれるのが遅かったら…」と思わずにはいられない。
1年遅く生まれていれば、ミスターシービーやカツラギエースとどんな熱い戦いを繰り広げていたのか…。
それを考えると、ステイヤー偏重時代に現役生活を送ったことが、返す返すも悔やまれる。

以上、知ったような顔で現役時代を綴ってきたが、この馬に関する記憶は古馬になってから(1983年以降)のものであり、クラシック時代は私が競馬を見始める1年前であるので、私の分かる範囲内のことを最小限書いたことをご了承願いたい。

種牡馬引退後は三石の本桐牧場で余生を送っていたが、寄る年波には勝てず、2013年、34歳の大往生を遂げた。

写真は2012年秋、本桐牧場にて。
とても温厚で、近づくと顔を摺り寄せてくる、優しい馬であった。

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