今週末はいくつもの重賞が行われるが、そのうちの一つ毎日杯は、かつて「クラシックに結びつかないレース」と言われていた。
しかし1999年の勝ち馬テイエムオペラオーがここをステップに皐月賞を制したことで、その評価も変わってきたように思う。
2004年の勝ち馬、キングカメハメハもここから飛躍していった。
2001年に産まれた彼の父は、エルコンドルパサーで知られるKingmambo。
日本におけるミスタープロスペクター系の評価を大きく変えた種牡馬である。
母マンファスが本馬を受胎した状態で日本に輸入され、ノーザンファームで産んだ仔なので「持ち込み馬」ということになる。
2003年の秋にデビュー勝ちした彼は、「出世レース」エリカ賞も難なく勝ち、このころから「クラシック候補」と言われ始める。
だが、関東に遠征しての重賞初挑戦、京成杯ではまさかの3着。
この結果を受け、松田国英調教師は一つの決断をする。
「小回りの中山コースにはこの馬は合わない。皐月賞は回避し、NHKマイルCとダービーに専念する」。
厩舎の先輩、クロフネがかつて挑みながら果たせなかった「変則二冠」を、皐月賞を飛ばして掴もうというのである。
阪神のすみれS、そして毎日杯と連勝した後、宣言通り皐月賞には出ずに、キングカメハメハはNHKマイルCのために再度東上、見事2歳王者コスモサンビーム以下に5馬身もの差をつけて優勝した。
そしていよいよ、「変則二冠」のかかったダービーへ。
この年のクラシックでどの馬よりも注目を集めていたのは、道営所属のコスモバルクだった。
ラジオたんぱ杯2歳S、弥生賞を勝利し、皐月賞では1番人気に支持されたものの伏兵ダイワメジャーに屈し2着。
しかし更なる強敵がこの地方の英雄を待ち受ける。
それがキングカメハメハ。
5月30日、ダービーで1番人気に支持されたのは、キングカメハメハの方だった。
レースは、マイネルマクリスとメイショウムネノリがひっぱり速い流れに。
11秒台から12秒台前半の続く、近年には珍しいハイペースである。
コスモバルクが先団に取りつき粘り込みを図る中、キングカメハメハの安藤勝己騎手はそれをマークして機を伺う。
直線、逃げ馬が失速する中、早くも先頭に立ったコスモバルクに、キングカメハメハが襲い掛かった。
交わした後は、どんどんと引き離す。
そこに、後方で待機していたハーツクライが脚を伸ばしてきたが、届かない。
キングカメハメハ1着、1馬身半差で2着ハーツクライ、コスモバルクは8着。
勝ち時計は2分23秒3。
1990年にアイネスフウジンが叩き出したダービーレコードを、14年ぶりに更新。
史上初の「変則二冠」を、これ以上ない形で達成したのだった。
秋は天皇賞を目標にまず神戸新聞杯に出走し、1着となった彼だが、その後屈腱炎を発症、引退、種牡馬入り。
その後この世代からは、ダービーで2着だったハーツクライがひそかに牙を研ぎ、翌年の有馬記念でディープインパクトを撃破するという快挙を達成することになる。
キングカメハメハの種牡馬としての実績は、多言を要しないだろう。
三冠牝馬アパパネ、JC馬ローズキングダム、短距離の王者ロードカナロア、そして砂の王者ホッコータルマエ。
その万能ぶりは傑出していて、リーディングサイアーにも輝いた。
産駒の重賞勝利数は63、うちG1勝利数は13。
まさに現代の競馬を支える屋台骨の一本として、存在感は十分である。
写真は2012年秋、社台スタリオンステーションにて。
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