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らすかるすずか
  北海道
シーイズトウショウとセントウルS
2015/09/07 21:44

宝塚記念までを一つの区切りとして、そこから本格的に夏競馬が始まる。
夏競馬にG1レースはなく、有力馬の多くも休養に入ることから、夏は馬券もお休み、といったファンも多いのではなかろうか。
そんな季節を盛り上げようと、2006年に始まったのがサマーシリーズ。
2000、マイル、スプリントの3つのカテゴリーで王者を決める。
ここから秋以降に飛躍を期する馬も多い。
2006年、サマースプリントシリーズ初代女王となったシーイズトウショウは、G1こそ勝てなかったものの長い間スプリンターとして輝き続けた馬である。

2000年4月に生まれた彼女の父はサクラバクシンオー。
母系はシラオキからコーニストウショウへとつながるフロリースカップの末裔で、母の父トウショウフリートはトウショウペガサスの産駒という、現代では珍しい血統背景の持ち主である。

2002年夏、小倉でデビューし、折り返しの新馬戦を勝利。
しかしその後はなかなか勝ち星に恵まれず、翌2003年には桜花賞2着、オークス12着と結果は芳しくなかった。
ちなみに3戦目の野路菊Sで騎乗したのが、彼女の主戦となる池添謙一騎手だった。

秋もオープン特別で苦戦が続いたが、12月のCBC賞でサニングデールら実績馬を相手に優勝。
2勝目がうれしい重賞初制覇となった。

翌年は高松宮記念で5着と健闘したのち、函館SSに出走。
2番人気に推され、好位からの抜け出しで重賞2勝目を挙げる。
秋、スプリンターズSでは3番人気だったがどろどろの不良馬場に脚を取られ、カルストンライトオの逃げ切りを許し7着。
その後も好位につけながら届かずという煮え切らない競馬が続いた。

ディープインパクトフィーバーに沸いた2005年は、2戦目のテレビ愛知OPで勝ち星を挙げると、続く函館SSを2番手からの積極的な競馬で制覇。
ノーブルグラスに続き、史上2頭目の同レース連覇となったのである。

しかしどうしてもG1には手が届かない。
癖馬の騎乗に定評のある池添騎手にとっても、彼女はかなり乗り難しい馬だったようである。
次に勝利を挙げたのは、2006年6月のCBC賞であった。

この後は、サマースプリントシリーズの第一戦であり、かつ同一重賞3連覇のかかる函館SSに出走し、2.1倍の1番人気に推されたが、ビーナスラインの豪脚に屈し2着に終わった。
次にキーンランドCに駒を進めるも、チアフルスマイルの2着。
シリーズ最終戦のセントウルSに優勝をかけることとなった。

ここに顔をそろえたのは、オーストラリアから参戦したテイクオーバーターゲットをはじめ、フェブラリーS優勝馬メイショウボーラー、古豪ネイティヴハートやキーンランドスワン、アイビスSDを制覇して勢いに乗るサチノスイーティーら、この道のスペシャリストたちである。
それでも1番人気だったのは、シーイズトウショウだった。
ウインレジェンドがハナに立ち、それを見る形でテイクオーバーターゲット、コスモフォーチュンが続き、彼女は4番手からの競馬となった。
直線、脚を延ばしてリミットレスビッドを競り落とし、テイクオーバーターゲットの追撃も振り切り、1着。
3馬身差の完勝であり、同時にサマースプリントシリーズの初代覇者となったのであった。

スプリンターズSではテイクオーバーターゲットの返り討ちに遭い、年末は香港に遠征したものの結果を残せず、翌年の高松宮記念8着を最後に長い競走生活に終止符を打った。

繁殖入り後、これまで目立った活躍馬を出すには至っていないが、トウショウ牧場閉鎖というニュースが報じられた今、これから彼女がどんな生活を送るのか、注目したい。

写真は2012年、トウショウ牧場にて撮影。
気の強さは相変わらずのようで、スイープトウショウと同じ放牧地に放したところ、2頭で喧嘩になってしまい、あわてて引き離したそうである。
それでも女の子らしい、可憐なまなざしに魅了されてしまった。

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