タケシバオーという馬がいた。
彼は長距離レースだろうが1200メートルのスプリンターズSだろうが、芝のレースだろうがダートのレースだろうが、お構いなしに出走し、勝利を挙げた。
最後は海外にまで飛び出した。
あまりに型破りな生き方。
故にオールドファンは、彼を「史上最強馬」と呼ぶ。
私なんぞは現役時代を見ていないので、その凄さはよく分からないけど、競馬を見始めたころは当時を知っている叔父によく、タケシバオーの話を聞かされたものである。
今のレース体系では考えられない、規格外の競走人生。
そのタケシバオーほどではないが、やはり型破りな走りでターフを沸かせた馬が、現代の競馬にも存在するのは面白い。
その馬の名は、アグネスデジタル。
米国で生まれた外国産馬のデジタルは、99年の秋にデビュー。
折り返しの新馬戦で勝利し、5戦目でオープン入りすると全日本3歳優駿で初重賞勝ちを収めた。
翌年は芝のレースでこそ勝ちあぐねたものの、名古屋優駿で重賞2勝目を挙げ、1番人気でジャパンダートダービーに出走したが、14着と惨敗。
どこかあてにならない二線級のダート馬というイメージが強かった。
その次走に選んだのが、ユニコーンSであった。
前走での大敗から4番人気に評価を落としていたが、後のダートの名馬レギュラーメンバーらを押さえ、重賞3勝目。
秋に向けて、楽しみな存在となった。
その復帰戦武蔵野Sで敗れた後、なぜかマイルCSに出走する。
ここまで挙げた勝ち星はすべてダート。
芝では3着が精いっぱいで、13番人気というのもやむを得ないだろう。
ところが彼は、抜け出した1番人気のダイタクリーヴァを後方からの豪快な追い込みで瞬時にかわし去り、優勝してしまう。
「ダート馬のはずなのに」。
誰もが予想だにしない王者の誕生は、人々を大いに困惑させた。
2001年、古馬になってからは芝のレースで不振が続いたが、日本テレビ杯で久しぶりに勝利、続くマイルCS南部杯でG1・2勝目を挙げると、次に矛先を向けたのが天皇賞(秋)であった。
デジタルの天皇賞出走は、大きな波紋を呼んだ。
この年から天皇賞(秋)には外国産馬の出走枠が2つ設けられていた。
そのうちの1つはメイショウドトウがオールカマーを勝ったことで埋まり、もう1つの枠にはNHKマイルCを勝ち、ダービーにも出走した「開国の使者」クロフネが順当に収まるはずであった。
ところがデジタルが登録したことで、クロフネはここから弾き出されてしまう。
「何かの嫌がらせなのか」。
そう陣営を非難する声もあった。
だがデジタルは、1番人気の「世紀末覇王」テイエムオペラオーをこのレースで破ることで、そんな雑音を吹き飛ばし、改めてその能力を見せつけたのである。
この年の最後には香港に遠征。
香港Cで勝利し、香港ヴァーズのステイゴールド、香港マイルのエイシンプレストンとともに凱歌を挙げた。
2002年はフェブラリーSを勝ってドバイWCに飛び、その次は再び香港へ。
芝だろうがダートだろうが、地方だろうが海外だろうが関係ない。
もはや、誰もが認める名馬であった。
この頃から一部のファンはこんなことを口にするようになっていた。
「あいつは、変態名馬だ」と。
2003年、安田記念での勝利が最後の勝ち星となり、有馬記念を最後に引退、種牡馬入り。
G1級の大物こそ出ていないものの、堅実に重賞勝ち馬を出している。
「変態」と呼ばれるほどの万能名馬。
「平成のタケシバオー」と呼んだら、当のタケシバオーには失礼だろうか。
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