鳴尾記念は、現在は宝塚記念の前哨戦として行われているが、以前は冬の有馬記念に出られない馬がそろうレースの意味合いが強かった。
一線級のメンバーがそろうから、牝馬にとっては勝つのが難しい重賞の一つでもある。
そんな鳴尾記念を勝った数少ない牝馬の一頭が、タケノベルベットである。
1989年に産まれた彼女の父はパドスール。
母はタケノダンサーで、姉には桜花賞馬リーゼングロスや阪神の3歳牝馬Sの勝ち馬マーサレッドがいる。
1992年、4歳(現3歳)という遅いデビューとなったが、ここを河内洋騎手の手綱で快勝した。
ところがこの後2勝目を挙げるのに苦労し、結局春のクラシックとは無縁に終わる。
オープン入りしたのは6月の900万条件ひめゆりSを勝ってからであった。
秋、最後の一冠エリザベス女王杯に、前哨戦を使わずに直行。
当然この成績では人気になるはずもなく、18頭立ての17番人気にすぎなかった。
しかし、テン乗りの藤田伸二騎手の好騎乗もあり、2着に同じパドスール産駒のメジロカンムリを従えて優勝。
エルカーサリバーやアドラーブル、ニシノフラワー、サンエイサンキューら豪華メンバーがそろった中での大穴女王の誕生であった。
この時点ではまだその実力は評価されていなかったが、彼女が次走に選んだのが、暮れの鳴尾記念であった。
1番人気に推されたのがメイキングテシオ、2番人気が彼女で、他にG1馬ラッキーゲランやヤマニンミラクル、ミスタースペインなどが出走していたものの、全体的には手薄なメンバーであった。
ヤマニンフォックスが逃げ、好位につけたベルベットは、3コーナーで早くも先頭に並びかけると、抵抗するメイキングテシオを競り落とし、エイティボレーの追撃も封じ、勝利。
エリザベス女王杯での勝利がフロックでなかったことを証明したのである。
この後は有馬記念に出走せず、年明けの日経新春杯、春の阪神大賞典で好走、そして天皇賞(春)に出走した。
しかしこのレースには、王者メジロマックイーン、真のステイヤーライスシャワー、前年のグランプリ馬メジロパーマーなど強豪が顔を揃えており、ライスシャワーがマックイーンを撃破する中、10着に終わった。
この後は脚部不安に悩まされ、現役を引退。
しかしこの当時の牝馬が置かれた状況の中で、イクノディクタスらとともに男馬相手に決して怯むことのない姿は堂々たるものがあった。
繁殖入りし、2007年まで10頭の仔を産んだが、母のように華々しく活躍する仔には恵まれなかった。
繁殖からも退いたのちは、白老のイーハトーヴ・オーシァンファームで余生を送っていたが、2014年の2月にこの世を去った。
写真は2012年秋、イーハトーヴ・オーシァンファームにて。
「大穴女王」のイメージから、さぞかし気難しい馬なのでは、と思っていたが、至って女の子らしい、優しい馬であった。
それでいて凛としている姿には、G1馬の風格を感じたものである。
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