かつて「マル外ダービー」と呼ばれていたNHKマイルC。
その呼び名の通り、クラシックに出走できない外国産馬の頂点を決めるレースでもあった。
しかし2001年のクロフネを最後に、外国産馬でこのレースを勝った馬はいない。
同年からダービーに外国産馬が出られるようになったから、というより不況の長期化で良質な外国産馬の輸入が減ったからというのが実情であろう。
それ以降は、純粋に3歳馬たちがスピードを競う場になっていった。
2008年のマイルC馬はディープスカイ。
父は「幻の三冠馬」アグネスタキオン。
近親に活躍馬が出ているわけではないが、4代母まで遡るとタップダンスシチー、リーチザクラウンなどの名前がある。
2007年の10月に京都でデビューした彼だが、新馬戦で4着の後は、未勝利戦で2着3回、そして年が明けては9着と、勝ち上がりには苦労した。
ようやく勝ち上がったのは6戦目であった。
この後自己条件で2着と、この時点では春のG1戦線とは無縁かと思われたが、昆貢調教師は次走に格上挑戦でアーリントンCを選ぶ。
ここは大逃げしたダンツキッスイの前に3着だったが、続いてのレースも重賞毎日杯。
6番人気と穴馬扱いであったが、ここを差し切って重賞初勝利を飾る。
鞍上は四位洋文騎手。
このレースから引退まで、全レースで手綱を取ることになる。
ここで昆調教師は皐月賞には出さず、NHKマイルCからダービーという、「変則二冠」を目指すことを決意した。
既にキングカメハメハがこの困難な偉業を達成していたが、その後を追うというのだ。
皐月賞には出走せず、虎視眈々とその時に備えた。
5月11日、まずは第一冠目、NHKマイルC。
9番とまずまずの枠を引いた彼は、スタート後、後方16番手に控える。
2歳王者ゴスホークケンが逃げ、前半1000mは59秒2と、まずまず平均的な流れとなった。
3コーナーから4コーナーにかけ、依然としてゴスホークケンが先手を譲らなかったが、ディープスカイは11番手にポジションを上げ、機を伺う。
早々と3番人気ブラックシェルが抜け出すが、そこに襲い掛かるディープスカイ。
あとはもう、誰も寄せ付けなかった。
1と3/4馬身差で先頭ゴールイン。
青い勝負服が府中のターフに輝いた。
この後は予定通りダービーへ。
この年のダービーは、皐月賞馬キャプテントゥーレが骨折で戦線を離脱しており、本命不在であった。
そんな中で同じアグネスタキオン産駒のディープスカイが参戦したことは、一筋の光明ともいうべきものであった。
ダービーでも15番手と後ろにつけた彼は、直線先頭に躍り出たスマイルジャックとの競り合いを制し、見事変則二冠を達成したのである。
四位騎手にとっては前年のウオッカに続くダービー連覇。
こうして世代の頂点に立った彼だったが、秋緒戦の神戸新聞杯を快勝したものの、以後は年上の「強い牝馬」たちの前に惜敗を繰り返すことになってしまう。
距離適性を考慮して菊花賞ではなく天皇賞(秋)に出走したが、ウオッカとダイワスカーレットの歴史的名勝負の前に3着。
ジャパンCではウオッカに借りを返すも伏兵スクリーンヒーローに及ばず2着。
その後古馬になってからも安田記念でまたもウオッカに屈するなど、「強い牝馬」の壁を破ることはできなかった。
2009年、宝塚記念で3着になった後屈腱炎を発症。
父アグネスタキオンが急死したこともあり、その後継者として引退、種牡馬入りの運びとなった。
産駒は今のところこれと言って目立つ活躍をしているわけではないが、自身がアグネスタキオンの早熟性と異なり未勝利脱出に6戦もかかっていることもあるので、長い目で見守りたい。
そのうちオープンで活躍する産駒が出てきて欲しい。
写真は2012年秋、ダーレージャパン・スタリオン・コンプレックスにて。
以下の対応が可能です。
※ミュート機能により非表示となった投稿を完全に見えなくなるよう修正しました。これにより表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。