この馬を評するに、どんな言葉が一番ふさわしいだろうか、と考える。
そしてやはり、「変幻自在」という言葉がふさわしいとの結論に至った。
1997年の天皇賞(春)勝ち馬、マヤノトップガンのことである。
1992年に産まれたから、ジェニュインやタヤスツヨシら、サンデーサイレンスの初年度産駒と同期である。
父はブライアンズタイム。
本馬はその2年目の産駒にあたる。
母の父Blushing Groomで、この馬を母の父に持つ活躍馬にはヤマニンゼファー、テイエムオペラオー、レディパステルなどがいる。
いかにもブライアンズタイムの仔らしい、コロンとした丸みを帯びた馬体の彼は、4歳(現3歳)の1月にデビューしたが、初めに使われていたダートが合わなかったのか結果を残せず、ようやく4戦目で初勝利を挙げた(ちなみにこのレースはダート1200mであった)。
その後もダートを使われて1勝を挙げるも、ここでダートに見切りをつけて芝に転向し、2戦目のやまゆりSで勝利。
とはいえ7月にオープン入りしたトップガンは、春のクラシックを勝ったジェニュインやタヤスツヨシからは大きく離された存在だった。
夏は過ぎ、最後の一冠を目指す争いが始まる。
緒戦の神戸新聞杯、続く京都新聞杯で続けて2着に入ったトップガンは、11月5日の菊花賞に出走した。
この菊花賞は本命不在の混戦であり、牝馬ダンスパートナーが1番人気という異例の事態となっていたが、3番人気に推されたトップガンは4番手からレースを進め、早めに抜け出すと2番手にトウカイパレスを引き連れて優勝。
重賞初制覇が菊花賞であった。
年末には有馬記念に出走。
当時の古馬戦線は前年の三冠馬ナリタブライアンが故障し、不調に陥っていたことで混沌としていたが、トップガンはここを意表を突く逃げ切りで勝利。
1995年の年度代表馬に選出される栄誉に浴した。
明けて1996年、古馬になった彼の第一戦は阪神大賞典であった。
このレースにはナリタブライアンが出ていたが、ずっと不調続きだったこともありトップガンが1番人気に推された。
3コーナー前で先頭に立つトップガン。
そこにブライアンが襲い掛かり、2頭が馬体を合わせたまま直線に入る。
まさにマッチレースと言える激しいデッドヒート。
最後にブライアンがハナだけ出ていたところがゴールだった。
このレースは、今なお「平成の名勝負」の一つとして名高いが、一方では「ブライアンが全盛期の強さだったら、こんなに苦戦するはずがない」という声もあった。
この結果を受けて行われた天皇賞(春)は、ブライアンが1番人気の支持を受け、トップガンは2番人気だったが、直線あっさりと2頭をかわして優勝したのはブライアン世代のサクラローレル。
トップガンは折り合いを欠いたこともあり5着に終わった。
この後ブライアンは高松宮杯に出走したのち戦線を離脱。
宝塚記念はサクラローレルが回避したこともあってトップガンが圧倒的1番人気に支持され、圧勝。
これでG1を3勝とした。
秋のG1戦線では不本意な結果に終わった彼だが、翌1997年が彼の競走人生の集大成ともいうべき年となる。
前年2着に終わった阪神大賞典で最後方に控えながらほぼ馬なりで追い込み勝ち。
どうしても勝たなくてはならない天皇賞(春)に駒を進める。
ここには前年の覇者サクラローレルや、その素質が高く評価されていたマーベラスサンデーが出ており、ローレルが1番人気であった。
ローレルやマーベラスが中団に位置を取る中、トップガンは前走に続き、後方で待機する。
直線、ローレルとマーベラスが先頭で激しくやりあうのを横目に、トップガンの末脚が炸裂し、両馬をとらえて追い込み勝ち。
勝ち時計3分14秒4は、京都芝3200mのコースレコードタイムであった。
こうして「3強対決」を制し、名実ともに最強馬となった彼であったが、秋のG1戦線を前に浅屈腱炎を発症し、引退、種牡馬入りの運びとなった。
G1での4勝すべてを違う戦法で勝った馬はほかにいないし、逃げでも追込みでもそつなくこなすのが、この馬の魅力であり、まさしく変幻自在の馬であった。
種牡馬としては、G1まで突き抜ける産駒こそ出していないものの、高齢までタフに活躍する仔を多く出している。
キングトップガンのように近走不振でも得意条件であれば高齢でも穴を開けるケースが相次ぎ、「トップガンの高齢馬は買い」と言われたこともあった。
今年種牡馬を引退し、今後はチャクラら後継馬たちに託すことになる。
写真は2006年、優駿スタリオンステーションにて。
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