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らすかるすずか
  北海道
メイショウサムソンと皐月賞
2015/04/14 21:26

ピカピカの良血馬が当たり前のように大レースを制する、それは競馬のレベルが向上した現在にあっては当然の帰結なのかもしれない。
サンデーサイレンスがターフを席巻するようになって以降、その血を持たないものがG1を勝つことはますます難しくなった。
しかし、そんな中にあってもそうした良血馬を向こうに回して大活躍した名馬も存在することを忘れてはならない。
今回紹介するメイショウサムソンも、そんな一頭である。

2003年浦河で生まれたサムソンは、父オペラハウス、母マイヴィヴィアン。
近親に名ジャンパーポレールなどがいるが、それほど活力のある牝系ではない。
とはいえ、4代母が名牝ガーネットであり、筋の通った血統であることは間違いない。

2005年、小倉の新馬戦でデビューし、2着。
3戦目の未勝利戦で初白星を挙げた。
続く野路菊Sも勝ってオープン入りを果たすと、1戦挿んだ東京スポーツ杯2歳Sで評判馬フサイチリシャールの2着に入る。
個人的に、初めてサムソンに注目したのがこのレースだった。
負けはしたが、レースセンスには光るものがあり、この時点で私は翌年のクラシック候補はサムソンだと確信したのである。

重賞初制覇は2006年のスプリングS。
そしてクラシック第一弾、皐月賞では6番人気と、穴人気していたが、好位から競馬をして、ドリームパスポートの追撃を振り切り、優勝。
鞍上は石橋守騎手。
今までクラシックには縁のなかったいぶし銀のベテランジョッキーに初めてのタイトルを与えた。
この石橋騎手とのコンビというのも、実に味わいがあって、私がこの馬に惚れ込む大きな要因であった。

続くダービーでも雨で渋った馬場を苦にすることもなく、二冠達成。
地味ながら味わいあるコンビの三冠制覇へ向け、視界は良好となった。

ところが、三冠のかかった菊花賞ではアドマイヤメインが大逃げしてハイペースを作り出す中、早め先行策をとったサムソンはソングオブウインドの4着。
「二年連続の三冠馬誕生」は幻に終わった。

その後煮え切らない競馬を続けていた彼だったが、2007年の春の天皇賞を優勝。
名実ともに名馬への道を進んでいく。

だが、苦楽を共にしてきた石橋騎手とのコンビは次走の宝塚記念まで。
秋には、武豊騎手に手綱が託されることになった。
このことについては、私だけでなく多くのファンが複雑な心境になったはずである。

しかしさすがは武豊騎手、ぶっつけで臨んだ秋の天皇賞でサムソンを勝利に導く。
春秋天皇賞制覇、彼は古馬として最高の栄誉を手にしたのであった。

結果的にこれが、サムソンの最後の勝利となってしまった。
翌2008年の有馬記念まで、掲示板に載ったのはジャパンカップと春の天皇賞、そして宝塚記念のみ。
瞬発力勝負ではどうしても分が悪いので、致し方ない面もあるが、一番輝いていたのが石橋騎手とコンビを組んでいた時だっただけに、このコンビが続いていたら…などと思ってしまう。

有馬記念8着を最後に引退、種牡馬入りしたが、初年度産駒はデビューから年末までに中央で1勝もできなかったため、種牡馬としての先行きが心配された。
しかしその中から逃げ馬サムソンズプライドが翌年のダービーに出走するまでに成長し、今年の春にはレッドソロモンが若葉Sを人気薄で制するなど、なかなかに見どころのある産駒もいるので、これからの反撃に期待したい。
もともと日本ではSadler's Wellsの系統が根付きにくいだけに、過度の期待は禁物だろうが、長い目で見ていきたい馬である。

写真は2012年、社台スタリオンステーションにて。

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