日本の競馬にグレード制が導入されたのは、1984年。
当時は一年最初のG1が桜花賞だったので、1984年の桜花賞馬が「日本初」のG1馬、ということになる。
この記念すべき肩書を得たのが、ダイアナソロンである。
1981年、苫小牧で生まれた彼女の父はパーソロン。
同い年のパーソロン産駒にはあの皇帝・シンボリルドルフがいる。
母の父は南関東の名馬ヒカルタカイ。
母系は3代母が丘高、つまりクモワカであり、テンポイントの一族ということになる。
「ダイアナ」の名は、もしかするとこの頃英国のチャールズ皇太子と結婚したダイアナ妃に因んでいるのかもしれない。
1983年にデビュー。
主戦は、田原成貴騎手だった。
5戦3勝で迎えた桜花賞、21頭立て(22頭出走予定のところ、1頭取消)のこのレースで彼女は3番人気に推される。
文字通りの「魔の桜花賞ペース」の中、脚をためて直線で抜け出し、5馬身差の快勝。
日本初のG1馬となった。
因みにこの桜花賞には、のちにナイスネイチャの母となるウラカワミユキも出走していたが、19着に終わっている。
その後はオークスでトウカイローマンの返り討ちに遭い2着、秋にサファイヤSで1勝を加えたのち本番のエリザベス女王杯では人気薄の芦毛馬キョウワサンダーの3着。
そしてけなげにもジャパンカップに挑戦するもののしんがりの14着に終わり、この年を締めくくっている。
翌年春、マイラーズCに出走したが、この時代の短距離路線はニホンピロウイナーの独壇場であり、健闘むなしく3着。
続くコーラルSでも3着に終わり、引退、繁殖入りした。
母としては、「幻のダービー馬」とも言われたクエストフォベストなど堅実に走る仔を出していたが、母を髣髴させる産駒には恵まれなかった。
繁殖引退後の彼女の消息は、一時期「不明」とされていた。
桜花賞馬が、それもウラカワミユキと走った日本初のG1馬が、どうして…と当時は思ったが、その後1994年に亡くなったことが明らかになった。
子孫にも現時点でこれといった馬はいないが、その血はこれからも北海道の大地に育まれ、長く残ってくれるだろう。
なお、彼女の勝利した桜花賞の日、裏開催の中山大障害では、近親でありテンポイントの弟でもあるキングスポイントが競走中止、ターフの露と消えている。
亡き一族への手向けの花として、ダイアナソロンのG1制覇は十分すぎるものであったと思う。
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