今週はAJC杯。
1973年にこのレースを勝ったお馬には凄いインサイドストーリーがありました。
正確にはその父なのですが。
オンワードガイの父、オンワードゼアは牝馬にして皐月賞、ダービー2着、そしてオークスも勝った歴史的名牝トキツカゼの息子でした。
デビュー時には「ニッポンイチ」という馬名だったことからも大いなる期待を背負っていたことがわかります。
でも、その力が発揮されたのは古馬になってから。
1958年金杯勝利から始まり、天皇賞(春)を勝ち、その年の有馬記念も制し、最優秀5才以上牡馬にも選ばれました。
6才のアメリカ遠征で調教中に故障し、7才になってから3戦して帰国。
その後、種牡馬入りしたのですが、繁殖牝馬に恵まれず、何と何と1963年には北海道公営競馬に復帰、オンワードケイの名で出走し2勝あげました。
そこも引退後は、当て馬として使われる事になってしまったゼア父さん。
その心境はどんなものだったでしょう。
天皇賞馬で有馬記念馬ですよ。
擬人化しているわけではないのですが、悔しさのかたまりで「今にみていろ!」状態だったのではないでしょうか。
それを証明したのが息子、オンワードガイの誕生だったのです。
実はゼアは、母となったリナウンの発情を促す役目の当て馬だったのです。
それが周りの目を盗んで、ゼアが種牡馬もやってしまったわけです(ありえな〜い!!)。
そして産まれたのがオンワードガイなんです。
馬主さんはチョウ怒って、ゼア父さんを馬房に幽閉してしまいました。
そんな出生のもとデビューしたオンワードガイ。
朝日杯、AJC杯、目黒記念を勝ちましたが、父の様にG1は勝てませんでした。
でも、彼の頑張りが父の幽閉を解き、馬主さんに「すまなかった」と頭を下げさせ、再び父を種牡馬に戻したのでした。
父のプライド復活をかけた1世1代の賭けを、息子が見事に勝利させた・・・そんな親子のストーリーでした。
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