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エドリン
  北海道
シンザン記念馬、ダイタクリーバの後ろで・・・・。
2016/01/07 18:29


金杯、みなさんはいかがでしたか?
わたくしめはですね、ヤマカツエースを軸に、2スピリッツミノル、3ステラウインド、7マイネルフロスト、14ライズトゥフェイムの3連複でいきました。
そーです。
馬単なら当たってたわけで、またまたやっちまった!のです。
エドリン馬券炸裂!!・・・・・・で、沈没(泣)

ま、次ですよ。(いつものセリフ)

そして新年初めての日曜日はシンザン記念。

2000年、このレースを制したのはダイタクリーバでした。
そして2着に来たのがトウカイテイオー産駒のチタニックオー。
このチタ君、何故かリーバ君の後ろが好きらしく(?)、前レースの北九州記念もリーバ君の2着。
晴れのクラシック皐月賞では1着エアシャカール、2着ダイタクリーバのやはり後ろの3着と、何かリーバ君に弱みがあるのか(笑)決してリーバ君の前には行きませんでした。
その後いつの間にか姿が見えなくなってしまったチタ君。
もうこの世にいないのかな?と諦めた頃、偶然買ったハルウララの本で知った消息。
何とあの黒潮牧場さんで元気に生きていたのです!
嬉し涙の大量生産で、すぐに黒潮さんに連絡してしまいました。
ただ、チタニックはサポートホースではなく、馬主さん預かりのお馬でした。
ダービーではきっと!と期待されながらの故障発症で休養。
そして1戦した後に高知競馬に移籍。
ここでも脚元の状態は良くなかったようで、5戦中2戦が中止となっています。
そこで2勝目をあげたゴール瞬間の大怪我。
予後不良と宣告されてもおかしくないほどの大きなものだったようです。
それでも何とか命だけでも助けたいと、馬主さんが必死に預託先を探し、黒潮さんが受け入れてくれたのだとか。
その気持ちが通じて怪我も回復し、馬主さんが会いに行った時には丸マルと太って、その元気そうな姿に馬主さん、男泣きに泣いたそうです。
でも幸せな時期は長くは続かず、4年後の2007年8月18日、虹の橋へと旅立って行きました。
昨年の命日に頂いたお電話で「 もう(亡くなってから)ずいぶんたってるのに、今でもパドックにいるような気がして仕方ないんですわ 」と笑ってらした場長さん。
栗東時代からずっと同じ馬主さんに可愛がられ、大事にされてきたチタニックオー。
馬生は長くなかったけれど、きっと幸せな一生だったと思います。

2003年にわずか数カ月の種牡馬生活で亡くなってしまった皐月賞馬エアシャカール。
まだ頑張ってくれているシンザン記念馬ダイタクリーバに、エアの分もチタの分も長〜〜〜〜く生きて欲しいと願います。

画像は黒潮牧場さんの場長さんから送って頂いたものです。

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