10月4日、4年前のこの日、私に馬という生き物の魅力を教えてくれた、今の私の原点シンボリルドルフが旅立ちました。
この衝撃はあまりに強すぎて、涙も出ず、それからしばらくの間、ただ頭の中が空洞になった感じですごしたような気がします。
スポーツ新聞の記事を見ても、遠い世界での出来ごとの様で、実感がともなっていませんでした。
「ルドルフは死なない」 そう勝手に思い込んでいたのです。
悲しみの涙があふれたのは、1年後の彼の命日の日でした。
「やっぱり本当だったんだ、ルドルフはもうこの世にいないんだ」、そう思った時涙が止まりませんでした。
今まで何度も言ったり書いたりしてましたが、実は私はアンチルドルフ派だったのです。
あまりに強すぎて、まるで「サイボーグだ」と、へそ曲がりの私はルドルフ馬券を1度しか買ったことがありません(当然ことごとく外れましたが・・・苦笑)。
その1度だけ買ったのが1984年のジャパンカップでした。
その日東京競馬場にいた私、初めての日本馬優勝に喜びよりも何とも言えない不思議な気持ちに襲われていました。
それは、その日競馬場にいた人達殆どがそんな感じだったようで、カツラギエースが1着でゴールした時の、あの妙な静けさが表していました。
私は4回のボックス席にいたのですが、勝馬が決まった瞬間、当たりがシ〜〜〜ンと静まりかえったのです。
その奇妙な静寂は今でも忘れられません。
私がルドルフに魅かれたのは引退式の時でした。
晴れの舞台で彼は、右に左に蛇行し、まるで踊っているようでした。
その時、この引退を一番喜んでいるのはルドルフなんじゃないかと思ったのです。
今まで皇帝と呼ばれ、強くなくてはいけない、常に堂々としていなくてはいけない、と自分を殺して最強馬シンボリルドルフの鎧をまとってきた彼が、初めて大衆に見せた素顔のような気がしてしまったのです。
以来、馬という生き物にもしっかり感情や個性があるのだと知ったのです。
それからです。
馬券対象としてだけでない馬の見かたをするようになりました。
ルドルフが最後まで最強馬の鎧かぶとを身にまとっていたなら、もしかしたら、ただの競馬好きで終わっていたかも知れません。
そのルドルフが逝って4年、息子のテイオーも父の元に行ってしまいました。
でも、私の中にあの引退式でのルドルフダンスが今も残っていて、まだ千葉の牧場でルドルフは悠々と素顔をさらして生きていると思えてならないのです。
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